2020年9月11日金曜日

鬼滅の刃 富岡義勇が鱗滝左近次に宛てた手紙の疑問

鬼滅の刃について、ちょっと気になった箇所。 

単行本第一巻 P88 で、富岡とみおか義勇ぎゆう鱗滝うろこだき左近次さこんじに宛てた手紙に 
「鬼殺の剣士になりたいという少年をそちらに向かわせました」 とあるが、
「ん、炭治朗たんじろうは鬼殺の剣士になりたい?」と引っかかった。
そこまで言い切っていたかな?と。

読み返してみると、炭治朗が意思を表明したのは、
富岡が禰豆子ねずこを後ろ手に抑えながらやりとりする場面で、
「禰豆子を人間に戻す」「絶対に治します」
(鬼が人間に戻る方法を)「必ず方法を見つける」
「家族を殺した奴も見つけ出す」
と言ったところ。

しかし状況が状況なだけに、炭治朗は妹が殺されないように
必死であり、感情的な勢いも含まれている。

富岡もそれを分かった上で、つまり感情という「ゲタ」の分を
差し引いた上でも、炭治朗は鬼殺の剣士になりたいと
いう意思表明と受け止めた、ということだろうか。

(なお、上記のやりとりの後は、戦闘→炭治朗が気を失う→炭治朗が
起き、富岡は炭治朗に鱗滝を訪ねるように言って去る。
なので、「お前は本気で鬼殺の剣士になりたいか」という
意思を最終確認する場面はない。)

いや、この直接的なやりとりではなく、戦闘直前の炭治朗の懇願
→富岡の叱咤→富岡が禰豆子を切ろうとする→戦闘
の場面で、富岡は無言で炭治朗に覚悟を持たせたと取るべきか。

直接的な「鬼殺の剣士」になる覚悟ではないのだが、富岡は炭治朗の
「鬼の妹を守り、家族の仇を取る」という覚悟は強く受け止めており、
そのためには「鬼殺の剣士」になるしかないことを富岡は知っているので、
帰納的に「鬼殺の剣士」になる覚悟となる。

炭治朗もこの時点では、直接的に「鬼殺の剣士」になる覚悟までは
結びつけてないはずで、鱗滝と会い鱗滝から「妹が人を喰った時
お前はどうする」と聞かれて判断できなかったことなどを通して
鬼殺の剣士の覚悟を固めてくのであろう。

よって富岡の「鬼殺の剣士になりたいという少年をそちらに
向かわせました」 というのは、炭治朗が遭遇してしまった
あらがいようのない宿命への、厳しさといつくしみからの断言なのだろう。

ーーー
この後、炭治朗は亡くなった家族を埋葬し、鱗滝が居る狭霧山さぎりさやま
向かうわけだが、父親もいなくて実質的に一家の主である炭治朗と
しては、役所への届けとか、長期不在になることを少なくとも
三郎爺さんとか隣近所には伝えておかないと、とか(もしくは
狭霧山に行けば万事解決し、数日で帰ってこれると考えていた?)、
戸締りは万全だろうかとか、鬼に襲われたことが広まって報道各社が
取材にくるんじゃないだろうかとか、「いや待てよ。なんで自分だけ
無事だったんだと容疑をかけられるのでは?いや炭を売りに行った
町の人や、三郎爺さんがアリバイを証言してくれるから大丈夫だ。」
とか気になったであろう。
(役所とか言い出すと話が進みませんね^^)

最後は逸脱しすぎたが、普通(?)だったら鬼に詳しい人とか
医者に頼ってみようとなるのだが、それでは一般人の話であって、
物語にならない^^
また、そんな覚悟では守ることも仇を討つことも、
なんだかんだと理由をつけて何もしないまま
終わるだけなんだろうな、という戒め。