方丈記 - 鴨長明



素読アプリによる、方丈記の読み上げ動画です。

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方丈記』(現代語表記:ほうじょうき、歴史的仮名遣:はうぢやうき)は、鴨長明による鎌倉時代の随筆。日本中世文学の代表的な随筆とされ、『徒然草』、『枕草子』とならぶ「古典日本三大随筆」に数えられる。-- 「方丈記」(2020年4月1日 (水) 10:04 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)の版)『ウィキペディア日本語版』より 画像の出典 タイトル: 方丈記 著者: 鴨長明 出版年月日: 正保4 [1647]年 URL: https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2539932 実際に鴨長明が方丈記を記したのは、本書49ページ目でご自身が記してる通り1212年(建暦2年)ですから、画像出典の本はその435年後の写本ということです^^ くずし字も明瞭で初期のくずし字学習に向いてそうですね。 この「令和二年(2020年)の武漢肺炎の疫病(えやみ)」とも言うべきこの時期に、方丈記を改めて1文字ずつ書き起こしていると、現状にマッチしてタイミング的・時空的偶然に震えたりします。 本書の中にも出てきますが、まさに「濁悪(じょくあく)」つまり「五濁悪世(ごじょく あくせ)」の世になるか、ならないかの瀬戸際とも言えます。はるか800年前の出来事ですが、残された文章を800年後の我々も文書としても読めて、素読としても読めて、過去の疫病の時世に学ぶことができる事を有り難く思い、現世に立ち返り、世を憂い、世界の安寧を祈りたいと思います。

本文

行く川のながれは絶ずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとまることなし。
世の中にある人とすみかと、又かくの如し。
玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々をへて尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれ也。
あるは大家ほろびて小家となる。
住む人も是におなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。
あしたに死し、夕べに生るゝならひ、たゞ水の泡に似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、何方いづかたより來りて、いづかたへか去る。
又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。
其あるじとすみかと、無常をあらそひ去る様、いはゞ朝顏の露にことならず。
あるは露落て花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。
或は花はしぼみて、露なを消えず。消ずといへども、夕べを待つことなし。
およそ物の心を知れりしより、四十よそぢあまりの春秋を送る間に、世の不思議を見る事やゝたびたびになりぬ。
去りぬる安元三年四月廿八日かとよ、風はげしく吹てしづかならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りていぬゐに至る。
はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部省まで移りて、一夜がほどに、灰となりにき。
火本は樋口富小路とかや、病人を宿せるかり屋より出で來けるとなむ。
吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたる如くすゑびろになりぬ。
遠き家は煙にむせび、近きあたりは一向ひたすらほのほを地に吹きつけたり。
空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねく紅なる中に、風に堪へず吹き切られたる炎、飛ぶが如くにして一二町を越えつゝ移り行く。
其中の人うつゝ心ならむや。
あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死ぬ。
あるひは又わづかに身一つからくして逃れたれども、資財を取り出づるに及ばず。
七珍萬寳しちちんまんぼう、さながら灰燼となりにき。其の費へいくそばくぞ。
此たび公卿くぎやうの家十六燒けたり。まして其の外は数知らず。
すべて都の中、三分が一に及べりとぞ。男女死ぬるもの數千人、馬牛の類ひ邊際を知らず。
人のいとなみ、みな愚かなる中に、さしも危き京中の家を作るとて寶を費し心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。

治承ぢせう四年卯月廿九日の頃、中の御門京極みかどきょうごくの程より、大なる辻風起りて、六条わたりまで、いかめしく吹きける事侍りき。
三四町をかけて吹きまくる間に、其の中に籠れる家ども、大なるもちいさきも、一としてやぶれざるはなし。
さながらひらにたふれたるもあり。けたはしらばかり殘れるもあり。
又門の上を吹き放ちて、四五町が程に置き、又垣を吹き払ひて、隣と一つになせり。
いはむや家の内のたから、数をつくして空にあがり、檜皮ひはだぶき板の類ひ、冬の木の葉の風に乱るゝがごとし。
塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびたゞしくなりどよむ音に、物いふ聲も聞えず。
地獄の業風なりとも、かくこそはとぞ覺えける。
家の損亡するのみならず、是をとり繕ふ間に、身をそこなひ、かたはづけるもの數を知らず。此風ひつじさるの方に移り行て、多くの人の歎きをなせり。
辻風はつねに吹くものなれど、かゝる事やはある。たゞごとにあらず。
さるべき物のさとしかなとぞ疑ひ侍りし。

又おなじ年の水無月の頃、にはかに都うつり侍りき。いと思ひの外なりし事也。
大かた此京の始を聞けば、嵯峨天皇の御時、都とさだまりにけるより後、既に數百歳を經たり。
ことなくて、たやすく改まるべくもあらねば、是を世の人、たやすからずうれへあへる様、ことわりにも過ぎたり。
されどとかくいふかひなくて、御門より始め奉りて、大臣公卿悉くことごとく移り給ひぬ。
世に仕ふる程の人、誰かひとり故郷に殘らむ。
官位に思ひをかけ、主君の影を頼む程の人は、一日なりとも、とく移らむとはげみあへり。
時を失ひ世にあまされて、期する所なき者は、愁へながらとまり居り。
軒を爭ひし人のすまひ、日を經つゝ荒行あれゆく
家はこぼたれて淀川に浮び、地は目の前に畠となる。
人の心皆あらたまりて、たゞ馬鞍をのみ重くす。牛車を用とする人なし。
西南海の所領を願ひ、東北國の庄園をば好まず。
其時、おのづから事のたより有て、摂津の國今の京に至れり。
所の有さまを見るに、其の地程せまくて、條里をわるにたらず。北は山にそひて高く、南は海に近くて下れり。
波の音つねにかまびすしくて、塩風殊にはげしく、内裏は山の中なれば、かの木の丸殿もかくやと、中々やうかはりて、優なるかたも侍りき。
日々にこぼちて川もせきあへずはこびくだす家いづくに作れるにかあらむ。
猶むなしき地は多く、造れる屋はすくなし。古里は既にあれて、新都はいまだならず。
ありとし有る人、みな浮雲の思ひをなせり。
本より此所に居る者は、地を失ひて愁へ、今うつり住む人は、土木の煩ひある事を歎く。
道の邊を見れば、車に乘るべきは馬に乘り、衣冠布衣いかんほいなるべきは直垂ひたゝれを着たり。
都の条里たちまちにあらたまりて、唯ひなびたる武士にことならず。

是は世の乱るゝ瑞相とか聞きおけるもしるく、日を經つゝ世の中うき立ちて、人の心ももおさまらず、民の愁へつひにむなしからざりければ、同じき年の冬、猶此の京にかへり給ひにき。
されどこぼちわたせりし家共いかになりにけるにか、事々くもとの様にも作らず。
ほのかに傳へ聞くに、いにしへのかしこき御代には、憐れみをもて國を治め、則ち御殿に茅をふきて軒をだもとゝのへず。
煙のともしきを見給ふ時は、かぎりあるみつぎ物をさへゆるされき。
是れ民を恵み、世をたすけ給ふによりてなり。
今の世の中の有りさま、昔になぞらへて知りぬべし。

又養和の頃かとよ、久しくなりてたしかにも覺えず、二年が間、飢渇して、浅ましき事侍りき。
或は春夏日でり、或は秋冬大風、大水などよからぬ事ども打ちつゞき、五穀ことごとくみのらず。
空しく春耕し、夏植うるいとなみのみありて、秋刈り冬收むるぞめきはなし。
是によつて國々の民、或は地を捨てゝ堺を出で、或は家を忘れて山に住む。
様々御祈はじまり、なべてならぬ法ども行はるれども、さらに其のしるしなし。
京のならひなにはにつけても、みなもとは田舍をこそたのめるに、絶えてのぼるものなければ、さのみやはみさほも作りあへむ。
念じ侘びつゝ、寳物かたはしより捨つるがごとくすれども、更に目みたつる人なし。
たまたま換ふるものは、金を軽くし、粟を重くす。
乞食道の邊に多く、愁へ悲しぶ聲耳に満てり。
先の年かくの如くからくして暮れぬ。明くる年は立ちなをるべきかと思ふに、あまさへ疫病ゑやみ打ちそひて、まさる様に跡かたなし。
世の人みな飢ゑ死にければ、日を經つゝきはまり行くさま、少水の魚のたとへに叶へり。
はてには笠うちき、足ひきつゝみ、よろしき姿したる者、ひたすら家ごとに乞ひありく。
かくわびしれたる者どもありくかと見れば則ち斃れ死ぬ。
ついひぢのつら、路頭に飢ゑ死ぬる類ひは數しらず。
取り捨つるわざもなければ、くさき香世界にみちみちて、かはり行くかたち有りさま、目もあてられぬ事多かり。
いはむや川原などには、馬車の行きちがふ道だにもなし。
あやしきしづ、山がつも、力つきて、薪にさへともしくなりゆけば、たのむかたなき人は、みづから家をこぼちて市に出でゝ賣るに、一人が持出でぬるあたひ、猶一日が命をさゝふるにだに及ばずとぞ。
あやしき事は、かゝる薪の中に、つき、白がねこがねのはく所々につきて見ゆる木のわれあひまじれり。
是を尋ぬればすべき方なきものゝ、古寺に至りて佛をぬすみ、堂の物の具をやぶり取りて、わりくだけるなりけり。
濁惡の世にしも生れあひて、かゝる心うきわざをなむ見侍りき。
又あはれなる事侍りき。さりがたき女男など持ちたる者は、其の心ざしまさりて深きはかならず死す。
其の故は、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたはしく思ふかたに、たまたま乞ひ得たる物を、先づゆづるによりて也。
されば父子ある者は定まれる事にて、親ぞさき立ちて死にける。
父母が命尽きて臥せるをしらずして、いとけなき子のその乳房に吸ひつきつゝ、ふせるなども有りけり。
仁和寺に、隆曉法印りうけうほういんといふ人、かくしつゝ、数しらず死ぬる事をかなしみて、聖をあまたかたらひつゝ、その死首の見ゆるごとに、阿字を書きて、縁をむすばしむるわざをなむせられける。
其の數を知らむとて、四五兩月がほど、かぞへたりければ、京の中、一條より南、九條より北、京極より西、朱雀より東、道のほとりにある頭、すべて四萬二千三百よ(あまり)なむ有りける。
いはむや其の前後に死ぬるものも多く、川原、白川、西の京、もろもろの邊地などをくはへていはゞ際限も有るべからず。
いかにいはむや、諸國七道をや。
近くはす(しゆ)徳院の御位の時、長承の頃かとよ、かゝるためしは有りけると聞けど、その世のありさまは知らず。
まのあたり、いとめづらかに、悲しかりし事也。

元暦げんりやく二年の頃、大地震なゐふる事侍りき。
其のさまつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。
土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入る。
渚こぐ船は波にたゞよひ、道行く駒は足のたちどをまどはせり。
況や都のほとりには、在々所々ざいざいしょしょ堂舍だうしや塔廟たうべう、一として全からず。
或はくづれ、或はたふれたる間、塵灰立ち上りて盛なる煙のごとし。
地の震ひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。
家の中に居れば忽に打ちひしげなむとす。はしり出づれば又地われさく。
羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむ事難し。
をそれの中に恐るべかりけるは、只地震也けるとぞ覺え侍りし。
其の中に、有る武者ものゝふのひとり子の、六七ばかりに侍りしが、築地ついひぢのおほひの下に小家を作りて、はかなげなる跡なし事をして遊び侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらに打ちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲もおしまず悲しみあひて侍りしこそあはれにかなしく見侍りしか。
子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと覺えて、いとおしくことわりかなとぞ見侍りし。
かくをびたゞしくふる事はしばしにて止みにしが、其の餘波なごりしばしば絶えず。
よのつねに驚くほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。
十日廿日過ぎにしかば、やうやう間遠まどほになりて、或は四五度、二三度、もしは一日交ぜひとひまぜ、二三日に一度など、大かたその名残、三月ばかりや侍りけむ。
四大種の中に、水火風はつねに害をなせど、大地に至りては殊なる變をなさず。
むかし齊衡の頃かとよ。大地震ふりて、東大寺の佛の御頭みぐし落ちなどして、いみじき事ども侍りけれど、猶此のたびにはしかずとぞ。
則ち人みなあぢきなき事を述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐかと見し程に、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。
すべて世の有りにくき事、我が身とすみかとの、はかなくあだなる様かくのごとし。
いはむや所により、身のほどにしたがひて、心をなやます事、あげてかぞふべからず。
もしおのづから身叶はずして、權門けんもんのかたはらに居る者は深く悦ぶ事はあれども、大に楽しぶにあたはず。
歎きある時も聲をあげて泣く事なし。進退やすからず、立ち居につけて恐れをのゝく、たとへば、雀の鷹の巣に近づけるがごとし。
もし貧しくして富める家のとなりにをるものは、朝夕すぼき姿を耻ぢてへつらひつゝ出で入る妻子、僮僕のうらやめるさまを見るにも、富める家の人のなひがしろなるけしきを聞にも、心念々にうごきて時としてやすからず。
もしせばき地に居れば、近く炎上する時、其の害をのがるゝ事なし。
もし邊地にあれば、往反わづらひ多く、盜賊の難はなれがたし。いきほひ有る者は貪欲ふかく、ひとり身なるものは人にかるしめらる。寶あればおそれ多く、貧しければ歎き切也。
人を頼めば身他のやつことなり、人をはごくめば心恩愛につかはる。
世にしたがへば身くるし。またしたがはねば狂へるに似たり。
いづれの所をしめ、いかなるわざをしてか、しばしも此の身をやどし玉ゆらも心を慰さむべき。
我が身、父方の祖母の家を伝へて、久しく彼所に住む。其の後縁かけ、身おとろへて、忍ぶかたがたしげかりしかば、つひに跡とむる事を得ずして、三十餘にして、更に我が心と一乃庵を結ぶ。
是れを有りし住居になずらふるに、十分が一也。たゞ居屋ばかりをかまへて、はかばかしくは屋を作るに及ばず。
わづかに築地ついひぢをつけりといへども、門たつるにたづきなし。
竹を柱として、車やどりとせり。雪ふり風吹く毎に、危うからずしもあらず。
所は川原近ければ、水の難深く、白浪の恐れもさはがし。
すべてあらぬ世を念じ過ぐしつゝ、心をなやませる事は、三十餘年也。
其の間折々をりをりのたがひめに、をのづから短き運をさとりぬ。
すなはち五十の春を迎へて、家を出で世をそむけり。
もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官祿あらず、何に付けてか執をとゞめむ。
空しく大原山の雲にいくそばくの春秋をかへぬる。こゝに六十の露消えがたに及びて、更に末葉のやどりを結べる事あり。
いはゞ狩人の一夜の宿を作り、老いたるかいこの眉をいとなむがごとし。
是れを中頃のすみかになずらふれば、又百分が一にだにも及ばず。
とかくいふ程に、齢は年々としどしにかたぶき、すみかは折々にせばし。
其の家の有様よのつねならず、広さはわづかに方丈、高さは七尺が内也。
所を思ひ定めざるが故に、地をしめて作らず。土居をくみ、打ちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。
若し心に叶はぬ事あらば、やすく外に移さむが為也。
其の改め造る時、いくばくの煩ひかある。つむ所わづかに二輌也。車の力をむくふる外は、更に用途いらず。
いま日野山の奧に跡をかくして、南に仮の日がくしをさし出して、竹のすのこを敷き、其の西に閼伽棚あかだなを作り、中には西の垣に添へて、阿彌陀の畫像ゑざうを安置し奉りて、落日を請けて、眉間の光とす。
彼の帳のとびらに、普賢ならびに不動の像をかけたり。北の障子の上に、ちひさき棚をかまへて、黒き皮籠かはご三四合を置く。
すなはち和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。傍に琴、琵琶、をのをの一張をたつ。
いはゆるおりごと、つぎ琵琶これ也。
東にそへて、わらびのほどろを敷き、つかなみを敷きて夜の床とす。東の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑを作り出せり。
枕の方にすびつあり。是れを柴折りくぶるよすがとす。
庵の北に少地をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて園とす。則ち諸々の薬草を栽ゑたり。
仮の庵の有様かくのごとし。其の所のさまをいはゞ、南にかけひあり、岩をたゝみて水をためたり。
林軒近ければ、爪木つまきを拾ふにともしからず。名を外山といふ、正木のかづら跡を埋めり。谷しげゝれど、西は晴れたり。觀念のたよりなきにしもあらず。
春は藤波を見る、紫雲のごとくして西の方に匂ふ。
夏は時鳥ほととぎすを聞く、かたらふごとに死出の山路をちぎる。
秋は日ぐらしの聲耳に充てり。空蝉うつせみの世をかなしむかと聞ゆ。
冬は雪を憐れむ。つもりきゆるさま、罪障にたとへつべし。
若し念仏ものうく、読経まめならざる時は、みづから休み、みづからをこたるにさまたぐる人もなく、又耻づべき友もなし。
殊更に無言をせざれども、ひとり居れば口業くごふをおさめつべし。必ず禁戒を守るとしもなけれども、境界なければ何に付けてか破らむ。
若し跡の白浪に身をよするあしたには、岡の屋に行きかふ船をながめて、滿沙弥まんしやみが風情をぬすみ、もし桂の風ばちをならす夕には、潯陽じんようの江を想像おもひやりて、源都督げんととくのながれをならふ。
若しあまり興あれば、しばしば松のひゞき秋風の樂をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。
藝は是れつたなければ、人の耳を悦ばしめむとにもあらず。
ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから心を養ふばかり也。

又麓に、一つの柴の庵あり。すなはち此の山守りが居る所也。かしこに小童あり、時々來て相訪ふ。もしつれづれなる時は、是れを友としてあそびありく。
かれは十六歳、われは六十むそぢ、其の齡事の外なれど、心を慰むる事はこれ同じ。
或はつ花をぬき、岩なしをとる。又ぬかごをもり、芹をつむ。或はすそはの田井に至りて、落穂を拾ひてほぐみをつくる。
もし日うらゝかなれば、嶺によぢ上りて、遙かに故郷の空を望み、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。勝地は主なければ、心を慰むるに障りなし。
あゆみ煩らひなく、志遠く至るときは、是れより峯つゞきすみ山を越え、笠取を過ぎて、岩間にまうで、石山をおがむ。
もしは又粟津の原を分けて、蝉丸翁が跡をとぶらひ、田上川を渡りて、猿丸大夫が墓をたづぬ。歸るさには、折につけつゝ櫻をかり、紅葉をもとめ、蕨を折り、木のみを拾ひて、且つは仏に奉り且つは家づとにす。
もし夜しづかなれば、窓の月に古人を忍び、猿の聲に袖をうるほす。
草むらの螢は、遠く眞木の嶋のかがり火にまがひ、曉の雨は、をのづから木の葉吹く嵐に似たり。
山鳥のほろほろと鳴くを聞きても、父か母かと疑ひ、峯の鹿かせぎの近く馴れたるにつけても、世にとをざかる程を知る。
或は埋火うづみびをかきをこして、老の寝覚めの友とす。おそろしき山ならねど、ふくろふの聲をあはれむにつけても、山中の景氣、折につけても尽くる事なし。
いはむや深く思ひ、深く知れらむ人のためには、是れにしもかぎるべからず。
大かた此所に住み初めし時は、白地あからさまとおもひしかど、今迄に五とせを經たり。
假の庵もやゝふる屋となりて、軒にはくち葉ふかく、土居苔むせり。
をのづから事の便りに都を聞けば、此の山に籠もり居て後、やむごとなき人の、かくれ給へるもあまた聞こゆ。
まして其の數ならぬたぐひ、尽くして是れを知るべからず。たびたびの炎上にほろびたる家、又いくそばくぞ。
たゞかりの庵のみ、のどけくして恐れなし。程せばしといへども、夜ふす床あり、ひる居る座あり。一身をやどすに不足なし。
がうなはちいさき貝をこのむ、是れよく身をしるによりてなり。みさごは荒磯に居る、則ち人をおそるゝによりて也。我又かくのごとし。
身を知り世を知れらば、願はずまじらはず、只しづかなるを望みとし、愁へなきを楽しひとす。すべての人の、住み家を作るならひ、かならずしも身の為にはせず。
或は妻子眷属の為に作り、或は親昵朋友のために作る。或は主君、師匠及び財寳、馬牛の為にさへ是れを作る。
我今、身の為にむすべり、人のために作らず。故いかむとなれば、今の世のならひ、此の身のあり様、ともなふべき人もなく、たのむべきやつこなし。
たとひ広く作れりとも、誰をかやどし、誰をかすへむ。それ人の友たる者は富めるをたうとみ、ねんごろなるを先とす。
かならずしも情有ると、直なるとをば愛せず、たゞ糸竹花月を友とせむにはしかず。人の奴たる者は賞罰のはなはだしきを顧み、恩の厚きを重くす。
更にはごくみあはれぶといへども、やすく閑なるをばねがはず、唯我が身を奴とするにはしかず。もしなすべき事あれば、則ちをのづから身をつかふ。
たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりはやすし。若しありくべき事あれば、みづから歩む。
苦しといへども、馬鞍牛車と心をなやますには似ず。今一身を分かちて、二の用をなす。
手のやつこ、足の乗り物、よく我が心にかなへり。
心又身のくるしみを知れゝば、くるしむ時はやすめつ、まめなる時はつかふ。つかふとてもたびたび過ぐさず、ものうしとても心をうごかす事なし。
いかに況や、常にありき、常に動くは、是れ養生成るべし。何ぞいたづらにやすみ居らむ。人を苦しめ人を惱ますは又罪業也。いかゞ他の力をかるべき。衣食のたぐひ又おなじ。
藤の衣、麻のふすま、得るにしたがひてはだへをかくし。野邊のつばな、嶺の木の実、命をつぐばかり也。
人にまじはらざれば、姿を耻づる悔もなし。かてともしければ、をろそかなれども、猶味をあまくす。
すべてかやうの事、樂しく富める人に對して云ふにはあらず、唯我が身一つにとりて、昔と今とをたくらぶるなり。大かた世をのがれ、身を捨てしより、うらみもなくおそれもなし。
命は天運にまかせて、おしまずいとはず、身をば浮雲になずらへて、頼まずまだしとせず。
一期のたのしひは、うたゝねの枕の上にきはまり、生涯の望みは、折々の美景にのこれり。
それ三界は、たゞ心一つなり。心若し安からずば、牛馬七珍も由なく、宮殿望なし。今さびしき住まゐ、一間の庵、みづから是れを愛す。
をのづから都に出でては、乞食となれる事をはづといへども、かへりて爰に居る時は、他の俗塵に着する事をあはれぶ。
もし人此のいへることを疑がはゞ、魚鳥の分野ありさまを見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざれば其の心を知らず。鳥は林をねがふ、鳥にあらざれば其の心をしらず。
閑居の氣味も又かくの如し。住まずして誰かさとさむ。そもそも一期の月影かたぶきて餘算山の端に近し。たちまちに三途の闇に向かはむ時何のわざをかかこたむとする。
佛の人を教へ給ふおこりは、事にふれて執心なかれと也。今草の庵を愛するもとがとす、閑寂に着するもさはりなるべし。
いかゞ用なき楽しみをのべて、むなしくあたら時を過さむ。しづかなる曉、此のことはりを思ひつゞけて、みづから心に問ひていはく、世をのがれて山林にまじはるは、心をおさめて道を行はむ為なり。
然るを汝が姿は聖に似て心はにごりにしめり。住み家は則ち淨名居士の跡をけがせりといへども、たもつ所はわづかに周梨槃特しゆりはんどくが行にだにも及ばず。
若し是れ貧賤の報のみづから悩ますか、将又はたまた妄心の至りてくるはせるか、其の時心更に答ふる事なし。たゝかたはらに舌根をやとひて不請の念佛、兩三べんを申してやみぬ。

時に建暦の二とせ、弥生の晦日頃、桑門さうもん蓮胤れんいん外山とやまの庵にしてこれをしるす。

 月かげは 入る山の端も つらかりき
  たえぬひかりを みるよしもがな

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