素読アプリによる、実語教の読み上げ動画です。
Jitsugo-kyo Text Book reading by Sodoku-App.
What's "Jitsugo-kyo"? : https://en.wikipedia.org/wiki/Muromachi_period#Education
https://www.japanese-wiki-corpus.org/history/Jitsugokyo.html
素読 - Sodoku - App
実語教(じつごきょう)は、平安時代末期から明治初期にかけて普及していた庶民のための教訓を中心とした初等教科書である。
-- 「実語教」(2015年8月18日 (火) 13:24 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』より
画像の出典
タイトル: 実語教・童子教
著者: 探花房 校
出版年月日: 明19.3
URL: https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544455
言わずと知れた(?)、いかにも「寺子屋」なテキストです。
(かくいう昭和っ子な私は、大人になるまで知りませんでしたが。。)
福沢諭吉が引用していたり、ここで引用した画像も明治時代だったりと、
それくらいまでは使われていたようです。
いつ頃から使われなくなっていったのかを調べるのも面白そうです。
(教育制度整備の過程?戦後?)
![]() |
本文
実語教山高きが故に貴からず。 樹有るを以て貴しとす。
人肥へたるが故に貴からず。 智有るを以て貴しとす。
富は是一生の財。 身滅すれば即ち共に滅す。
智は是万代の財。 命終れば即ち随つて行く。
玉磨かざれば光無し。光無きを石瓦とす。
人学ばざれば智無し。智無きを愚人とす。
倉の内の財は朽つること有り。身の内の才は朽つること無し。
千両の金を積むと雖も、 一日の学には如かず。
兄弟常に合はず。慈悲を兄弟とす。
財物永く存せず。才智を財物とす。
四大日々に衰へ、心神夜々に暗し。
幼時勤学せざれば、老ひて後恨み悔ゆと雖も、
尚所益有ること無し。故に書を読んで倦むこと勿れ。
学文に怠る時勿れ。眠りを除ひて通夜に誦せよ。
飢へを忍んで終日習へ。
師に会ふと雖も学ばざれば、徒に市人に向ふが如し。
習ひ読むと雖も復せざれば、只隣の財を計ふるが如し。
君子は智者を愛す。小人は福人を愛す。
冨貴の家に入ると雖も、財無き人の為には、 猶霜の下の花の如し。
貧賤の門を出づると雖も、 智有る人の為には、宛も泥中の蓮の如し。
貧賤の門を出づると雖も、 智有る人の為には、宛も泥中の蓮の如し。
父母は天地の如く、師君は日月の如し。
親族は譬へば葦の如し。夫妻は猶瓦の如し。
父母には朝夕に孝せよ。師君には昼夜に仕へよ。
友と交りて諍ふ事勿れ。己より兄には礼敬を尽くし、 己より弟には愛顧を致せ。
人として智無き者は、 木石に異ならず。
人として孝無き者は、 畜生に異ならず。
三学の友に交らずんば、 何ぞ七覚の林に遊ばん。
四等の船に乗らずんば、 誰か八苦の海を渡らん。
八正道は広しと雖も、 十悪の人は往かず。
無為の都は楽しむと雖も、 放逸の輩は遊ばず。
老ひたるを敬ふは父母の如し。 幼を愛するは子弟の如し。
我他人を敬へば、 他人亦我を敬ふ。
己人の親を敬へば、 人亦己が親を敬ふ。
己が身を達せんと欲せば、 先づ他人を達せ令めよ。
他人之愁ひを見ては、 即ち自ら共に患ふ可し。
他人之喜びを聞きては、 則ち自ら共に悦ぶ可し。
善を見ては速やかに行へ。 悪を見ては忽ち避けよ。
悪を好む者は禍を招く。 譬へば響きの音に応ずるが如し。
宛も身に影の随ふが如し。 善を修する者は福を蒙る。
冨むと雖も貧しきを忘るること勿れ。 或ひは始め冨みて終り貧しく。
貴しと雖も賤しきを忘るること勿れ。 或ひは先に貴く後に賤しく。
夫れ習ひ難く忘れ易きは、 音声之浮才。
又学び易く忘れ難きは、 書筆之博芸。
但し食有れば法有り。 亦身有れば命有り。
猶農業を忘れざれ。 必ず学文を廃すること莫れ。
故に末代の学者、 先づ此書を案ず可し。
是学問之始め、 身終るまで忘失すること勿れ。
又学び易く忘れ難きは、 書筆之博芸。
但し食有れば法有り。 亦身有れば命有り。
猶農業を忘れざれ。 必ず学文を廃すること莫れ。
故に末代の学者、 先づ此書を案ず可し。
是学問之始め、 身終るまで忘失すること勿れ。
0 件のコメント:
コメントを投稿