これは1文字(1バイト)ずつ見て行く方式であるが、英語であれば英語の、日本語であれば日本語での文字のつながりの特徴・パターンがある訳で、そこまで考慮すればより効率の良い圧縮ができるであろうことは自明である。(というか実装されてるはず。)
(1ファイル中で全部英語とか、全部日本語とかであれば良さそうだが、複数言語が入り乱れているとオーバーヘッドが発生しそうである。また文法とか単語がルールに則っている間は良いが、突然(敢えて)変な言い方をしたり、敢えてスペルミスをした文章を載せる場合は、そこだけ「生(raw)情報 」としてエスケープしたりと、こちらもオーバーヘッドがかなり発生しそう。と言うことで実装はかなり大変そうである。)
今回のアイデアとしてはまず、テキストファイルであってもバイナリデータとみなして、パターンをとらえて圧縮するようにする。
そして、それを記憶装置全体に適用する、と言う物である。
解消されるポイントとしては、
・ファイル種別によってヘッダとか「決まりきった」書き方の箇所とかの重複した無駄な容量を節約できる。
・人によって同じようなファイルが集まる傾向がある(はず)なので、重複した無駄な容量を節約できる。(その人の作業で発生するバックアップファイルとかは少なくとも存在するだろう)
・つまり記憶装置全体としては使用者の特性にあった圧縮ができる。
といったところ。(話を分かりやすく単純化しているが、実際はどこまでも応用可能である。)
そういった情報を集めていけば、「現時点における、この組織の特性」が抽出できるので、以降はそのパラメータ決め打ちで圧縮していけば良い。
あわよくばクラウド全体・全世界に拡張できる。
問題点としては、
・パターン抽出の「枠の大きさ」はどれくらいが適切か。また「入れ子」も許容するのか。
・この方式はある時点の記憶装置全体の状態を基にパターン抽出する発想のため、変化に弱い。つまり書き込みがある場合には向いていない。
といったところか。
まず「枠の大きさ」「入れ子」についてだが、簡単に言うと最小公倍数で括り出した方が良いのか、最大公約数で括り出した方が良いのか、と言うこと。
最小公倍数で括ると言うのは、最初に書いた例だと英字であればアルファベットのeが一番出現率が高いので一番小さいサイズの符号に置き換えて、次は…と言った感じである。
そして入れ子というのは、一回符号化して出来上がったデータを再度パターン抽出して、今度は例えば2バイトの枠に広げて同じパターンを発生頻度の高い順に小さいサイズの符号に置き換えていく、ということ。
1回目の符号化であれば、符号化したものが1バイトを超えてしまっては圧縮にならない。
2回目の符号化であれば、符号化したものが2バイトを超えてしまっては圧縮にならない。
また、符号化したものが1回目のものなのか2回目のものなのか識別できる必要がある。
これを3回、4回と入れ子にしていけば圧縮率は高くなるかもしれないが、その分読み出す時の復号化の処理に負荷がかかることになる。
(1マシンで考えると大いなる無駄だろうが、クラウドで考えれば「復号化サーバ」がいて、全ての符号化辞書情報をメモリ上のキャッシュとして確保できるのであれば、このサーバにサーバに復号化だけ任せれば良いが、でもやはり処理要求が多すぎてI/Oは追いつかなそう。)
ということで、枠が小さすぎると細かくなりすぎて復号化が大変になるし、枠が大きいと復号化は簡単だけどあまり圧縮の意味がないため、どの程度の枠が圧縮率・読み出し速度のバランスとして最適なのかは実際のデータを基に計測する必要がある。
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アイデアの発端としては、もう編集されることがない決定文書とかアーカイブファイルとか動画とか、I/Oで言うと「読み取り」しかされないファイルは最大限容量を節約して良いのでは?と思った点。現在のストレージ技術では、全く同じファイルとかかなり似通ったファイルでも律儀にディスクスペースを使うしかないため、そこのブレークスルーになれば良いかと思った。
また、現在のクラウドストレージサービスでは「容量無制限」サービスは存在しないが、それは、そんなことをすれば絶対に誰かがディスクを「食い尽くす」人が出てくるだろうし、そう言う人を防ぎようがないからであろう。
しかし、このアイデアが実現すれば、そういった輩がどれだけ同じ巨大ファイルをストレージに書き込もうとしようが、それは全て同じ「符号」になるだけなので、「あぁ意味ないな」と悟ればそんな無意味なことをする人もいなくなるだろう。
そして「容量無制限」サービスも出てくるであろう。
※このアイデアを本気で実現すれば、もしかすると「ファイル容量」と言う考え方も根本的に変わってきそうである。
更にいっておくと、先ほどのストレージを食い尽くそうとする人の例では、同じ巨大ファイルで無駄にネットワークの帯域を使う必要もないことに気づくだろう。最初にハッシュ値などを確認してサーバから「アーカイブ済みですよ」応答があれば、クライアントは何も送らな行くて良い。
といったようにネットワークにもとても優しくなる。
(一部だけ符号化済みの場合は「xバイト目〜xバイト目まで送ってね」と返す、などなど。とは言っても「ファイル全体のハッシュ値」では差分は分からないため、この辺は要検討)
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なお、記憶装置(ストレージ)についてのアイデアであるが、アクセス権限やセキュリティについては、更に細かい検討が必要である。(アクセス権をちょっと考えると、符号化した方の情報にも、情報の元となったファイル&アクセス権の辞書が必要になりそう?)
このアイデアの特性が「書き込みに向いてない(リアルタイムの変更に弱い)」と言うことから、コンシュマー向けにはあまりならなそうである。
しかしビッグデータを抱える企業としては、ストレージの大改善になるアイデアであろう。
(復号化サーバとして考えれば、アクセス権はサーバとクライアント間だけの問題であるので、符号化データのアクセス権もシビアに考えなくて良さそうである。ただ、もしもこの装置をPCとかコンシュマー向けにも使いたい、となった場合には本機能の拡張版としてアクセス権対応版が必要になるだろう。)
ビッグデータとして例えば動画配信サービスであれば、似たような動画や時として「全く」同じ動画が多数あるはずで、それらを全て括り出せればものすごい容量の節約になるだろう。
動画圧縮技術次第だが、現在の方式では動画圧縮したものをストレージに格納しているはずで、圧縮動画から似た映像・同じ映像を括り出せれば良いのだが、それが不可である場合は一旦非圧縮データに展開してから映像を括り出さないといけないかもしれない。
しかし非圧縮データに展開して増える容量よりも、括り出しによって節約される容量の方が遥かに大きいだろう。
(また括り出し後に、今度は括り出し可能な圧縮方式で圧縮すれば良い。)
そもそも動画圧縮技術は、「隣接したピクセルは似通った色であることが多いはずだ」「隣接した時間では前後のフレームは連続的に移動しているはずだ(今の技術では加速度とかまで使ってる?)」と言ったアイデアで不可逆変換が主流であろう。
不可逆データ前提であるならば、括り出し時も「曖昧さ」パラメータによって、どれくらい似通っていれば同じ符号として置き換えて良いか調整ができそうである。曖昧さ:0 なら完全一致じゃないと許容しない。曖昧さを大きくするにつれて、似通った映像でも許可するが復号化した時にちょっと不自然になる、と言った感じだろう。
あと更に応用だが、動画であれば映像内部の一部の領域(静止画)についても同じアイデアが適用できそうである。つまり動画中で似通った・全く同じ静止画があるならばそこを括り出せる、と言うものである。(フレームに飾られた絵画とか)。ただしこちらは、たとえ全く同じ静止画であっても次のフレームではちょっと角度が変わったり、影がかかったりと、むしろ括り出し処理の方が難しそうである。
(余談だが動画も究極を言えば、元となった4次元データがあれば一番正確に再現できるのである。(当たり前か^^)。つまり上記で言ったフレームに飾られた絵画も角度が変わったり影が差したりと言ったことも、「絵画」データは1枚でよくて変化するのは絵画を入れているフレームの角度が変わったり、外部から影が差したりしているだけで、3Dで計算すれば良いだけの話、と言うこと。)
余談で書いたが、これも良いアイデアなので記録として残しておくこととする。
アップロードされた動画から3次元データを作成して、それを骨組みとすることで角度変化や影の差し具合などは「演算化」してしまうことによって圧縮する技術である。
なんと言うか、そこまで考えると、動画作成時に3D情報があるのであれば、わざわざ3D情報を削除することもないように思えてくる。(なんでせっかくの大切な情報をあえて削ってるの?と言うこと)。将来的には動画には3D情報もくっつけるのが主流になりそうである。
(画像認識技術でも、行き着くところは「欠落しているのは3D情報だな」と「悟った」人はたくさんいると思うのだが、画像に3D情報が付いているのが当たり前になれば「これまでの悩みは何だったの?」となるだろう。しかしこういった積み重ねれこそが技術革新なのであろう。)
(「ゲームエンジンのように画像全体をレンダリングをすると言うこと?」と思われるかもしれないが、そうではない。そんなことをしたら読み出し処理が追いつかない。
静止画や動画とレンダリングの最適解があるはずで、このアイデアをベースに最適解を探っていきましょう、と言うことである。(圧縮率、品質、エンコード負荷、デコード負荷などの総合的な最適解。圧縮技術の側面から3Dゲームエンジンを見ると、「テクスチャは容易には変わらない」と言う前提で圧縮していると解釈できたりする。テクスチャで解決できないもの、例えば髪の毛であっても最近は物凄い精度の良いモデルもあるわけで、これは言わば擬似的な近似値であり、髪の毛全てをシミュレーションしている訳ではないが、見る側としては実物と遜色のないものとして見えるため、または見えるように技術進歩してきた訳である。動画圧縮の前提として不可逆変換を前提にしている場合、つまりそれは各フレームの画像は「近似値」になっている訳であるから、本アイデアでも極端な話をすると3D化する時に髪の毛も「髪の毛近似モデル」に置き換えてしまってもいいのかもしれない。細かいパラメータは当然あると思うが。そもそも3D情報もゲームエンジンで作った場合であれば正確な情報だろうが、現実世界を撮った動画から3D情報を生成した場合は、その時点で近似値であるわけで、「近似値で良いのか?」と言う問いに対しては「では【正確な値】とは何か?」と問い直すことができるのである。それこそ映像の世界でも本当にただのレンズをそのまま撮ったのでは歪みとかぼやけとか手ぶれとか色々あるわけで、各種培われた「補正」が入っている訳である。補正をしてしまった時点でそれは既に「近似値」といえよう。物理学的な話になってきたが、実際に【正確な値】を計測することはとても大変なのである。また、もしも【正確な値】が取れたとしても、それを実際に人が「自然に」見えるようにするためには、今度は逆の手順が必要で、復元した情報を映像化する時に再度歪みとかぼやけとか手ぶれとかを結局は補正しなければならないのである。(ご存知の通り人が見る「色」の特性一つとっても奥が深い。プロから見ると「何だこの色使いは。というか何も補正してないのか?」と思われたりするのだが、では色を補正した画像は「本物」なのだろうか?)
ちょうど「本物か嘘か」と言うポイントが出てきたため、ちょっと書いておくと、
・本物を土台にして「近似」したもの
・本物のデータの一部または全てを、近似(補正)したり、モデルまたはシミュレーション(架空)データで置き換えたもの
を考えた場合、前者は本物または本物ベースのもの、
後者は嘘、そこまで明確に言わなくとも架空データで本物を模擬したもの、
と言えるだろう。
動画を楽しむ分には、そんなのどちらでも良いのかもしれないが、どの分野にも「完璧な正確性」を求めたり、求められたりする領域がある訳で、やはりどこかで真面目に議論しなければならないことである。例えば写真やビデオが証拠になったりする訳だが、担当者が気を利かせて色補正をしてしまったら、それは「本物」として扱っていいのか?と言うこと。先ほども書いたが、そもそも現代の最先端カメラでは写真を撮る時点で映像のプロによって培われた各種の補正が入ってしまっている訳で、そもそも「本物」として扱ってはいけないのではないか?と言う話になってくるのである。カメラについてはメーカーがどこで型番が何で、と言う情報で写真の特性も分かるため合わせ技で現代では「正確な」証拠として取り扱っている、と言うだけのことであろう。
しかし補正が入っていると言うことは、ある情報は強化され、ある情報は弱まったり省略されていると言うことなので、その特性を悪い方に活用されると極端な話「見えていたはずのものも見えない」写真や「見えてないはずのものが見える」写真も作れるはずである。そして現代ではそれさえも「正確な」証拠になってしまうのである!と言うこと。現代では「実際のカメラでそんな映像が撮れることは確率的には著しく低いため、取るに足らない」と割り切っているだけなのである。
上記はシビアするぎる話だが技術と共に成長していかなければならない問題である。
もう少し話を緩めると、例えば広告・虚偽広告が挙げられる。例えば本物の映像を近似値で補正するのはいいけど、シミュレーションデータに置き換えた場合、それは許されるのか?といった問題。どちらかというと倫理的な問題であろう。この辺は勿論経済の力学に沿って、Googleとかが先手を打って倫理観とかをまとめていくのであろう。(先手を打ってというか、大きいだけに何でも最初に槍玉に上げられる、と言ったほうが正確だろうか。))
3D情報ベースで書いたが、成果物ベースからもう一度見直せば、最終的な2D画像に直接関係しない3D情報は無論省略可能である。ただしこれくらい進化すれば、最終成果物として1本の動画だけにするのは勿体無い気がする。既に360°動画もあるわけだが、本アイデアは2D動画ベースなので、ちょっと違ってて、例えば2D動画なんだけどちょっとだけ視線を変えられたり、3Dカメラで撮影しなくても3D映像化ができる、とかであろうか。)
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ちなみに動画配信については以前に「ホログラムストリーミング」を発表済みである。