天の川銀河・Milky Way Galaxy というのは、地球人が我らの銀河を
内側から見た時に白い帯が天の川のようだからそう呼ばれているためである。
一方で我らの銀河以外の銀河については、地球から見えた時の色や形で
愛称をつけたりしている。
そこで、将来的なことを踏まえて、この天の川銀河・Milky Way Galaxy という
名称について考察しておこう。
簡単に考えると次の2段階。
①我らが銀河内の別の生命社会が存在したとして、彼らが我らが銀河を何と呼んでいるか。
彼らと我ら(地球人)で名称を統一する話になった場合に何になるか。
我ら地球人は、地球上で見ると、我らが銀河は白く見えるのだが、彼らの環境だと違う
ように見えてまた違った発想の呼び方かもしれない。
②我らが銀河外の別の生命社会が存在したとして、彼らが我らが銀河を何と呼んでいるか。
彼らと我ら(地球人)で名称を統一する話になった場合に何になるか。
①で地球外の生命社会が存在しなかった場合とか、存在したとしても諸事情で①は
スキップするかもしれない。
また、いずれ②まで考慮することになる訳であるから②の方向で考えてしまった方が
手っ取り早くもある。
もう一点、「天に見える川」とか、「空に見えるミルクのように白い川・道」というのは地球以外の星でも同じような呼び方をしている可能性が高くて、①とか②とかになった時に彼らと我らで呼称が被ってしまうと思われる。
という訳で、他の分野でもそうだが、あくまでも「客観的に」自分を見つめて
愛称をつけた方がよさそうである。
果たして我らが銀河は、外から見るとどのように見えるのだろうか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
かなりの取り越し苦労ではあるが、一方で最近は「物理的にそこへ行くことよりも
そこに行ったことを仮定する」方が重要で有用であると、人類は気づき始めているため、
意外と早くこの点も考慮される日が来るかもしれない。
客観的な特徴とは何だろうか?
例えば銀河が可視光領域で全体的に赤っぽいのであれば「赤い」のが特徴。
しかしその赤色の原因は、その銀河が含んでいる物質的なものなのか、赤方偏移によるものなのか。
前者はその銀河の特徴となり得そうだが、後者はやはり観測される側と観測する側という相対的な要因を孕んでしまう。
特徴を述べる時にはもっぱら視覚情報によるものが多い。
これは視覚情報が情報として多く、特徴を共有するのに適しているからとも言えるだろう。
しかしこれまでの考察の通り、銀河レベルで「公平な」特徴を言う時はどうやら限界がありそうである。
現在までのところは共有相手は地球内であるため、地球から見える色とか形で一向に問題はない。※形についても地球から見た角度だと、そう見えるだけであって、地球と反対側の人(宇宙人)に伝える時点で「特徴」情報としてふさわしくないことに気付く。
よって「公平な」特徴は、極論すればその銀河内の全ての情報を元に導き出されるものの方が良さそうである。
すでにここまでの話でも端々に出てきているが、特徴とは別個体との情報共有とか、または対象を「大雑把に」把握するためのものであり、つまり外部からの「観測」によるものである。観測で使われるのは地球人の場合は所謂五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)であるのだが、宇宙生命体ではもっと多くの感覚があるかもしれない。(例えば重力波も知覚できる感覚など。これは突拍子もないアイデアで全くの空想であるが、例えば惑星とかそれこそ銀河規模の生命体が「いた」として、その生命体は一体何を知覚するのだろうか。地球上の生物はなぜ知覚するかというと生命維持が大きな目的、最初の出発点になっているのだが、宇宙規模の生命体は純粋に知覚することを目的としてそうである。生命の何たるかが解明されて、人工的に生み出すことができるとすれば、それら宇宙規模の「感覚を持った生命」も生成されうる、と言う思考実験。)
脱線してしまったが、銀河の特徴を抽出する際に、観測者の(地球人でいうところの)五感の情報をフルに使って特徴抽出した方が良いだろう、ということである。少なくとも公平度合いは増すだろうということ。
得られた情報を3次元なり4次元空間にプロットしてみて、座標をぐりぐり回して眺めたりして、どの方角から見ても、というか「全体」として何かにそっくりだったとすれば、その名前を拝借するとかが考えられる。例えば3Dに可視光または何かの電磁波をプロットしてぐりぐり見てみたら、地球上の蝶にそっくりだったとすれば「地球上の蝶」銀河と名前をつける、とかである。ここでの例は結局視覚による認識になってしまっているが、あくまで分かりやすい例え話のためである。しかし人が知覚できない電磁波領域の特徴を掴んだとしても、共有相手も人と同じ可視光領域しか持たない生物だったとしたら、果たして伝えるときの「特徴」として相応しいのかどうか?という問題点もある。
そもそもの話に戻り「そもそも特徴というのは個体間の情報共有のためのものであり、厳密な意味はないので、考えるだけ無駄」と言うのであれば、振り出しに戻るのであるが、そうすると今度はやはり来るべき銀河時代にどうやって情報共有するのか?と言う話に戻るのである^^
「そういった時代になれば、その時の人が勝手に色々考えるだろう」と言うのであれば、最初に書いた通りのただの取り越し苦労と言うだけの話なのであるが、だからと言って人のこういった知的探求は誰にも止められないのである。と、体裁よく話をまとめて終わりとしよう。
やはりもう少しだけ書いておこう^^
「地球人の所謂五感」と書いたが、大抵の場合は系の中心に恒星があってそれが重要なエネルギー源になっていたり、また現代の科学情報ではどうやら生命の起源には「水」が重要そうで液体としての水が大量に存在し得る条件が大切らしい。そこで「生命」という枠だけで、しかも「知覚」とうことだけで考えれば、もしかすると地球外・太陽系外・天の川銀河外の生命体もある程度は同じような感覚を発展させるのかもしれない。(もちろん地球上にも深海には視覚は弱まって触覚とか別器官で生存する生物もいると言う点は考慮が必要。)
また、逆に言うと生命というものは自分が生存する環境に適するように、つまり重要な情報を知覚できるように進化の発展を遂げていると言えるわけであるから、その環境の特徴とはつまりその環境に住む生物がどういった知覚器官を備えたり発達させているかを知ることで分かる、とも言えるだろう。